Modeling note File 10
 ヤマハ125 YA−A 125cc 第2回浅間火山レーサー
 第1回   6月28日 「なぜか浅間レーサーに」

当時無敵を誇ったヤマハ250YDの原型モデル。
写真はすべてモーターサイクリスト1973年1月増刊号より転載

 一部のレースフアンを除くと浅間火山レースて何だと思われる方が大半でしょう。半世紀も前に浅間火山のダートコースで行われた日本のロードレースの幕開けと50年の歴史の一端が、どんな意義を持つのか、私自身もさらに認識を新たにようと思いました。1:9のスケールモデルの製作にあたって日本のレースのバックグラウンドまで考えを及ぼすことがどれだけ意義があるのかそれは分かりません。昨年、本格的な日本のロードレースは、九州雁の巣飛行場跡地から始まったと、ヨシムラCBを製作してその時代を偲んでみました。そして何れ浅間レースを駆け抜けた工場レーサーたちを考えていました。ところが横浜在住のNOGRYUさんの強い要望でヤマハYA−1を指名されました。しかし私の中では市販車でないヤマハYAを前から想定していたので、今年の静岡モデラーズミーティングの打ち上げで何とか1957年型で妥協して頂き準備を始めました。
私の分かり得る範囲で調べましたが、出場車は現存していないようです。データ資料はレースの周回ごとまで記録されているのですが、マシンを模型化するために必要な資料や写真がきわめて少ないようです。工作途上でたくさんの障害が発生するでしょう。ご閲覧下さる皆さんから途中でも結構です、また些細なことでも情報提供下さい。併せて工作ミス等ののご指摘もお願いしたいと思います。


 


  火山灰質ダートの直線を疾走する優勝車 
  ヤマハYA−A125cc 大石選手
 21番


  優勝タイム1時間16分55秒
   平均時速 87・5kmh
 
1955年に開催された第1回浅間火山レースは、北軽井沢から浅間牧場に至るほぼクロスカントリーに近い岩盤や坂道、そして火山灰からなる路面でコースが設定されていた。10秒間隔で2台ごとのスタートとマシンとライダーに過酷さを強いる特殊なレースであったかも知れません。そのなかでヤマハは創業第1号のYA−1を走らせ圧勝に終わりました。翌56年は本格的なスピードレースを目指し参加メーカーでコースを造成しました。57年に完成したコースは当時の欧州のサーキットとは全く異なる1周、9・351kmの非舗装路面でした。私がこだわる第2回浅間火山レースは、やっと1・7kmのダートのストレートを全力で走りきるパワーと操縦性能を要求される本格的なレースに生まれ変わった事です。125ccクラスで12周112kmのレースはかなり過酷なものであり、出場マシンが次年度市販予定を含めた工場レーサーが揃った事も特筆すべきでしょう。そして出場車の一部がセミカウルを装備、しかもクリップハンドルであったことも驚くべきことです。コース開発目的が各メーカー共有のテストの場としたことも含め、この浅間火山レースは翌58年からクラブマンレースと共催形式になりレースの視点も大きく変わりました。
(数値資料の一部ははGoodOldDay浅間火山レースから転記)
 第2回  7月15日 「資料の収集と問題点」

1957年開催された浅間火山レースの背景を調べていくと興味がつきません。
特に参加全メーカー数が第1回1955年は18社で81台参加から第2回1957年
(実際は1年8ヶ月経過)には11メーカーで71台に減少しています。
レースに参加するメーカー数の増減だけで判断するのは不見識ですが、
日本の二輪自動車の黎明期と言われた1955年から1960までの6年間は、
逆に淘汰のされていくメーカーもたくさん発生した生き残り時代であったようです。
それだけに当時の工場レーサーたちのプライドが見えるような気がします。

ご贔屓のプロ球団は100勝が可能と思われるダントツ1位から一挙に
最下位に凋落しています。その球団のヘルメットには・・・・プライドと大きく

書き込まれていますが目的が良くわかりません。今季はもうコースアウトしました。

1、資料がどこまで揃うのか
 実車が現存していないという情報はすぐに伝わりました。当時の古い記事のある
 雑誌類やWEB上から断片的な情報や資料の足し合わせてひとつの仮定の事実を
 設定するようにしました。現在大変なご迷惑をかけながらその方面権威の方々に
 ひたすらお願いをしている現状です。当時の工場レーサーはそれこそ社運をかけた
 企業秘密の結晶であったのでしょう。社外に流出されていないのが当然だと思いま
 す。何とかそれでも手持ち資料を検証しながら少しづつ図面に移し変えています。

 右の写真は収集中の資料の一部でコピー資料30ページには貴重な ものが
 たくさんありますがご提供者のお立場からあえて伏せています。
2、図面は今だ手書きです
 友人からCADのソフトを導入したら図面書きは簡単に出来るのにと提案されて「その内に」と答えて3年以上になります。親切無にしたのでそれからお声がかかりません。今回は確定した部分から図面と変則的な作業でやっと2ページだけ出来ています。


右の写真は製図?道具です。プラ板に書き込みするときはトライスター製筋彫りと金属用デバイダーを使用しています。

3、
準備が難しかった予定部品
資料を揃える以前の問題がありました。静岡でNOGRYUさんと話し合った時にもこの問題が解決しなければ
無理だと半分あきらめていました。それはタイヤです。このヤマハYAが履いているタイヤはトレールタイヤと
モトクロスタイヤの中間くらいのブロックパターンで、サイズが18:275とかなり特殊なタイプです。プロターの
モトクロッサーのキットからの転用も考えましたが、やはり21インチ前輪では異様に大きく、
採用は到底無理だと分かっていました。
その時は勢いで、タミヤ1:12CR400Rの前輪なら18インチくらいになるかもといい加減な発言をしていましたが、
これがまたとんでもない記憶誤りでした。実際、NOGRYUさんから2台揃うキットがあったのでと
「ホンダNXR750タミヤ1:12」を送っていただきましたが、縮尺とパターンがやはり小さすぎて1:10スケールに
なるサイズでした。タイヤを解決しないと最終的に絶対に完成しません。
1週間くらい検討を重ねメーカーさんの古いキットで何か無いものかと思案してみました。
やっと答えが出てその古いキットを探し出す作業にかかり友人の協力で入手できました。
あとの製作工程で詳細は記述しますがほぼ想定どおりの結果でした。

 第3回  7月29日 「ともかくホイルの工作から」
ホイルの選定

写真右がプロター・モリーニ250(再販キット)に付属している
18インチリムです。
このリムはリム幅が狭く、本来225〜250幅のサイズです。
(キットのタイヤも相応のタイヤが添付)
手持ちの関係でこのリムを使うようにしました

左側のリムは今回タイヤだけを転用するために調達したキットの
リムで1:10スケール・18:325仕様です。
リムを改造

ともかく出来る作業から着手しませんと構想倒れになる恐れも
あります。早速リム幅を広げる工作から始めました。
特別な事ではありません。2mm厚のプラ板をリム外側
(接着面)のサイズに切り出します。
真円を出しておかないと接着後では窪み部分はきれいに
修正できにくいようです。勿論タイヤが付くので見えませんが、
スポークやニップルの先端がこの追加部分に集中しますから、
タイヤの収まりが微妙に変わり後で時間をとります。
2mmを挟むことで換算約300幅くらいになります。
あとはリムエッジで微調整をしてタイヤとのバランスを
考えています。

接着材はプラセメントを両面にたっぷり付け3日間以上
重量をかけて圧着させています


少し面倒な工作

完全接着を確認してから変形防止に残していたスポークを切り取ります。プラ板に3mmの穴を空けて糸鋸でリムの内側に合わせて丁寧に切り取ります。
整形仕上げしたら最終的にはリムの貼りあわせ面は
約1・5mmくらいしかありません。メッキ面を剥がしてから
瞬間接着剤を内側とタイヤ側両方に流して強化させます。十分時間をかけて次の工程に移りたいと思います。



リムの大枠の出来上がり

強化の接着剤が完全硬化したら再度表面を慣らします
ヤマハのホイルは(18X2)36本構成ですから、あらかじめ作っている専用分度器で位置決めをしてニップルの
径の穴(この場合08mm)を空けます。慣れると斜めに
出る角度も順番もほぼキッチリと間違いなく出来るようになります。今度のように中心に2mmのスペーサーを
入れた場合は、その範囲が区分されているので穴あけが容易です。


やっとリムだけ見通しがつきました。
これからブレーキドラムやパネル類の工作に移ります。


 
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