File 13 YAMAHA TA125 1973
 3月8日  第 やっと工作が進みはじめました
フォークブラケットの工作
左はトップ側です。前以って貼り合せたプラブロックから
大枠の形を切り出し、あとはルーターとヤスリ
(さらに35度鋭角カッター)で仕上げています。
この部品は市販車用を転用していますので、
普通のアップハンドル取り付けの溝があります。
押さえカバーのネジ穴を含めて面倒な工作を強いられました。
多数の写真とパーツリストから正確に仕上げています。
ちなみにフロントフォークの芯〜芯は縮尺サイズでは、
17・1mmです。

右はアンダーブラケットですが、2mmプラ板からの切り抜きで、
シャフト部分は未加工です。実は黒塗装の部品でピカピカに
仕上げたのがあまり意味なさそうです。
フォークを締めるボルト類は最後の工作にします。
ブレーキドラム
前回並べていたオセロゲームのような丸板を組み立てました。
正しくはハブ本体と呼ぶこの部分の工作は、
現状放熱フインの溝を考えるとプラ材の貼り合せが
手早い手段になるでしょう。
理想はアルミ素材から挽き出しですが、素材・バイト・技術の
3点が揃っていません。何とか習熟したいものです。

平面にしている大きいほうが前輪用でフイン溝5枚、
後輪はフイン溝(かなり低いフイン)4枚の構成です。
同時期のRDやTDにはフインに切り欠きがあって
複雑ですが、TAの場合180度対角線に横リブがあります。
前輪は03と05mm、後輪は04と05mmのプラ板です。
ハブ部分
特に説明はありません。前回から貼り合せた部品を
ルーターと紙ヤスリで仕上げたものです。
ヤマハ車用の36穴の冶具を使って05mmのスポーク穴を、
そして1・2mmの切れ味の落ちたドリル刃を使って軽く
面取り(志賀虫ピンの頭が半分隠れる深さ)をしておきます。

前輪右上のハブのセンター穴が異常に大きいが?
これは実車で速度計ユニットを外したあとの処理で
ゴムシールを被せる軸をつけるために必要で4mm径の
穴あけをしています。


写真左下
前輪用のブレーキハブ、3mm厚のプラ板から加工
やはり市販車部品の転用で、やや複雑な形状をしています。

右半分が下側になり多分防水用?のリブが引き回されています。
写真右
後輪用ブレーキパネル
一緒に面倒な部品のレバー類をつくりました。
パーツ資料のとおりに正確を追うと
やはり時間が必要になります。
しかし手抜きできない部分は必ずあります。
段階的に厚みある場合には削る作業より、
貼り合せて厚みを考えるようにしました。
前輪用ハブ右側
本来ハブは一体ですから呼び方には
問題ありですが、こちら側のパネルは
分かれていません。
ただ、仕上げがリブ部分はピカピカの
研磨仕上げ、中心部分は梨地仕上げの
艶消しです。別々の加工にしておいて、
塗装のあとで一体にするつもりで
別部品にしています。
フロントフォークASSY
部品リストのような呼び方をしましたが、第1回で下ごしらえ
していたボトムケースを仕上げました。
左側の突起はブレーキパネルのストッパーです。
面倒」なつくりにしましたが車軸の位置や角度について
精度を上げるためには必要な手法かも知れません。
アルミパイプはインナーチューブの目的で
外径3mm内径2mmのサイズです

このあと、実車のFフォークの近似値を選んで、
外径38mmのアルミパイプを被せて2重構造にします。
写真では装着していません。この他にもボトムケースの
上部やゴムシール(前回登場済み)が必要になります。
写真左
忘れていました前輪用ブレーキカム、
真鍮ピンを使って位置合わせは
可能にしています。

写真右
ツイン巻上げアクスルケース。
小さな部品ですが14個の素材を
切り貼りしています。
あまりにも小さく、複雑な形状で、
今回、最初の難敵でした
  閑話休題
  部品工作の連続です。
   少し休憩をしましょう
 

  この製作記の最初にケント・アンダーソンとTA125のお話をお伝えしました熱心な
 ヤマハフアンのSさんは、実はこの市販レーサーに乗って実戦で活躍されていたのです。
 今回、
「TA125のライダーとして思い出を綴ってください」と無理やりに寄稿をお願いしました。
 前編と後編の2回に分けてお伝えします。1970年代のレースシーンに思いを馳せてください。



「ヤマハTA125の想い出」     (あるアマチュアライダーの回想録) ※文中、敬称略。

ヤマハTA125のことを書く前にロードレースとの出会いについて触れておきます。
高校生の頃からバイクは好きだったし、もちろんモータースポーツも好きでした。当時ヤマハのトレールバイク
HT901971年発売)に乗っていた私は、オフロードが好きで近くで開催されるモトクロスレースを見に行っていましたが、
学生の身分では自分でやるまでではありませんでした。

 会社に入って自分のお金を使えるようになった時、何かモータースポーツをやりたいと思いましたが、
モトクロスは体格や体力に自信の無い私にはちょっと敷居が高かったです。
そんな時、ひょんなきっかけで会社の先輩からロードレースへ誘われました。
マシンも先輩の知り合いからヤマハHT90改を譲ってもらい、何の苦労も無くロードレースの世界に入り込みました。
トランポは、中古の三菱デリカバン、さすがにツナギはクシタニで新調しました。

 HT90改のエンジンにはモトクロス用キットパーツが組み込まれ、車体はロードレーサーに改造されていました。
入門クラスの90ccは、市販レーサーが無かったので市販車にモトクロス用(一部ロードレース用もあった)の
キットパーツを組み込み、ショップやライダー自らが改造したマシンが多く、バラエティーに富んでいました。

 最初のレースは、1975年のノービス90でした。当時は、夢中で走っていましたがキャブのセッティングが判らず
良くピストンに孔を開けました。その年は表彰台にはあとひとつでしたが、次の年にジュニアに昇格しました。
当時90ccはノービスのみで、それ以上のクラスは125cc以上で走るしかありませんでした。
アマチュアとして楽しみながらロードレースをやっていたかったし、金銭的にも負荷の少ない125が良いと思い、
ヤマハ系スポーツショップにあった中古のTA125を購入しジュニア125を走ることにしました。

手に入れたTA125は、既にレースに使っていた車両なので走らせる上での不便はなく、
多少のスペアパーツも付いていたので貧乏ライダーには打って付けでした。また、キャブやギヤレシオなどの
セッティングもTA125を走らせているライダーから情報を得て困ることはありませんでした。
HT90改から乗り換えて下のパワーの無さには驚きましたが、ヘヤピンの立ち上がりでエンジン回転を
落とさないように使う半クラッチにはロードレーサーらしさを感じていたし、セッティングが合った時の回転の上がりは
素晴らしく、ストレートエンドで使うキルスイッチ(エンジン回転がオーバーレブしない様に、13,000rpmくらいで
断続的に押していた。)もレーサーに乗っている感じがして楽しかったです。
 当時、回転数から最高速を計算したことがありますが、鈴鹿のストレートエンドで180km/hくらいは出ていたと思います。
TA125のエンジンベースは、市販車のAX125AS3)ですが、メッキのシリンダや1本リングのピストン、
5速のクロスミッションやCDI点火はもちろんのこと、高回転に対応するクランクアセンブリなど改良が施されていました。
クラッチ板のベースも鉄からアルミに替えられていました。
ただし、オーバーレブなど高回転を多用するとクランクの大端ベアリングが焼き付く持病がありました。
そのため、スペアパーツとしてクランクアセンブリを持っていることが必要でした。アマチュアライダーは、
通常の練習走行ではマシンをいたわり、本番レース前の練習走行から本気で走ることが多かったので(私はそうだった)、
本番レースの前にマシンを壊すこともしばしばで、サーキットでクランクを交換したこともありました。
 車体関係の不具合では、リアサスペンションのセットにも寄ると思いますが、バンク時にアンダーカウルや
チャンバーのサイドを擦ることが多かったです。エンジン関係では、狭いパワーバンドを活かすために6速ミッションが
欲しかったです。当時TA125の改造としては、ガソリンタンクを短くしてシートを前に出すことやフレームを詰めて
エンジン位置を上げたマシンもありました。比較的改造自由度の高いMCFAJのエキスパートクラスでは、
ヘッドシリンダのみを水冷化したマシン(ラジエターを付けて自然循環で水を流す方式)も出場していました。

 1974全日本RR125ccクラスでの2台のTA125
        ゼッケン38はセニアクラス毛利良一選手、95番エキスパートJ松岡平八選手(75年大会パンフから)

 私がTA125で走った1976-77年のMFJのクラス分けは、それまでのノービス/ジュニア/エキスパートジュニア/セニアと
いうクラス分けから、ノービス/ジュニア/エキスパートという様にエキスパートジュニアとセニアが統合され
3クラスとなった時期で、125ccはエキスパートとジュニアの混走レースでした。
スタートラインの前方にはメーカー系の開発マシンが並び、モリワキレーシングが購入したモルビデリの水冷2気筒マシンなども
出ていました。戦闘力が低下したTA125も一部のライダーに6速ミッションが与えられましたが、エントリー台数は
だんだん少なくなって行きました。またこの時期、騒音規制が始まりサイレンサーの装着が義務付けられたので、
本来サイレンサーの付いてないTA125のエキゾーストチャンバーのテールパープに小さな孔を多数開けて、
グラスウールを巻き、外から筒を被せて対応しました。
                                                            
 後編に続きます
 
クランクケース
予め用意していたタミヤプラ板2mm厚の積層ブロックを
先ず中心部分から5種類を切り出しました。
全て2mmの穴空けをしてボルトで締めて均一加工をします。
下の1枚が中心になります。ダウンチューブ取り付けの
突起をつける切り欠きを入れています。

クランクケースの全高は僅か17mmほどの小さなものです。
工作は積み木と知恵の輪みたいなもので、「この間に2Rが入る」とか特殊な図面を引いて独り言の連続です。
クランクケース
整形を重ねてやっと中心部分が終わりました。
殆どがルーターで削り作業になりますが、エンジン
の架装の突起を1枚でやろうとしたため、工作が難しくなりました。
こういう場合は突起は継ぎ足すのが多分近道でしょう。



今週は下ごしらえをしていた部品加工が中心になり
面倒な工作の割りに予想外に進捗しました。
一定のところで下地塗装を施して仕上がりを確認したいと思っています。
3月15日 第 クランクケースその他
先週までの作業を続けます

クランクケース本体を仕上げないと工作が進みません。
プラセメントを使って圧着を試みていますが、それでも接着部分の肉痩せが時間の経過と併せて表面に出てきます。
接着直後に合わせ面の修正をしたり仕上げに
移ると二重の手間がかかります。
このまま約10日くらいあとで、瞬間接着材で目止めを
してから追加工作と併せて終わらせるようにします。



クランクケース底面
細部は未工作です。





前回お約束のSさんからの寄稿「ヤマハTA125の思い出」
後編を掲載しました。

そのあとに製作記も続いています。


 「ヤマハTA125の思い出」 後編 (あるアマチュアライダーの回想録) 文中敬称略


 1971年全日本RR選手権レースから ポールポジション(49)はヤマハYZ623Aの本橋選手 セカンドポジション(1)は
   同じくYZ623の小田選手。YZ623とYZ623Aではカウリング下部の形状からエンジン位置が大きく違うことが良く分ります。 (転載写真)

前編から続き
 手元に197652日に開催されたMFJ全日本選手権第3戦・鈴鹿ロードレース大会のエントリーリストがありますが、
172台中125ccが約半分の84台で、いかに国内ロードレースの底辺を支えていたかが判ります。
ちなみに、エキスパート125のライダーには飯田浩之(1976年・年間チャンピオン、ホンダ)、角谷新二、飯島茂雄、新田茂、
杉本泉、佐藤健正など懐かしい名前が並びます。また、このレースには出場していませんが、
125のスペシャリスト、江崎正(ヤマハ)や上田公次(ホンダ)もこの時期に走っていました。

197652MFJ全日本選手権第3戦・鈴鹿ロードレース大会エントリー内訳

[クラス]             90cc           125cc           250cc           350cc           750cc
    エキスパート       ----            16              4            16              8
    ジュニア             ----            24            10            10             ----
    ノービス             17            44            23             ----             ----

《合計》              17            84            37            26              8

1973年に発売されたヤマハTA125以降の125cc市販ロードレーサーは、1976年にホンダMT125R
1979年にヤマハTZ1251980年にホンダRS125R-Wが発売されています。

   1973  ヤマハTA125         2サイクル空冷並列2気筒、24ps5     ドラムブレーキ
    1976  ホンダMT125R        2サイクル空冷単気筒、25ps6           フロント・ディスクブレーキ
    1979  ヤマハTZ125          2サイクル水冷単気筒、30ps6           フロント&リヤ・ディスクブレーキ
    1980  ホンダRS125R-W    2サイクル水冷単気筒、31ps6           フロント&リヤ・ディスクブレーキ

 当時、小排気量クラスの上位陣は、バイクメーカーの社内クラブのライダーが多く、
自分達で改造したマシンを持ち込んで走っていました。一部のライダーは、先行開発的な役割を果たしていたと思います。
1974年辺りから市販モトクロッサーの2サイクル単気筒エンジンを搭載した改造マシンが多くなり、
一部のライダーは良い成績を上げていました。これは、トルクのある単気筒エンジンが
コーナーの立ち上がりや登りなどで有利なことと、モトクロスの人気が高くなり各メーカーが
市販モトクロッサーの開発に力を入れていたので2サイクル単気筒エンジンの性能や信頼性が
飛躍的に良くなったことが要因だと思います。


 ホンダ系ライダーは、1973年頃までCB125S改(4サイクル空冷単気筒、5速ミッション)で走っていましたが、
1973
年に市販モトクロッサー・エルシノアCR125M2サイクル空冷単気筒、6速ミッション)が発売されると、
この改造マシンで出場し始めました。1974-75年に鈴鹿レーシングチーム(ホンダの社内クラブ)の上田公次が乗っていた
CR125M改は、1976年にホンダRSCから発売された市販レーサーMT125Rの先行開発マシンだと思います。
当時、TA125で走っていたチームレーシングスポーツ(ヤマハ系チーム)の江崎正は、
1975
年の年間チャンピオンを獲得しましたが最終戦の全日本選手権・日本GP(鈴鹿)では
上田公次(CR125M改)に敗れて2位となりました。1976年は、完全にホンダMT125Rの独壇場で、
上田公次や飯田浩之が活躍しました。そんな中、第7戦(鈴鹿)にヤマハYZ125改(2サイクル空冷単気筒、
6速ミッション、モノクロスサス)で出場した江崎正が3位に入賞し、既にTA125の時代は終わったことを示しました。


 1977年の全日本選手権・日本GP(鈴鹿)のエキスパート125には、一部特別参加でしたがヤマハYZR125
ホンダMT125R-LCなど、2サイクル水冷単気筒マシンが登場し、125ccも水冷化の時代となりました。

「もし」は無いかと思いますが、TA125がベース車となったAX125AS3)と同じ1971年に発売され、
TZ250と同じ様に1973年に水冷化され6速ミッションが与えられていれば、もう少し活躍の場が広がっていたのでは、
と思うのは私だけではないでしょう。

最近の旧車レースで綺麗なTA125を見かけますが、ノスタルジックな空冷2気筒エンジンやドラムブレーキはもちろん、
誰にでも楽しめる高回転エンジン(サウンド)、そして端正なスタイルも人気のひとつではないかと思います。

以上

クランクケース左パネル
クランクケースの中心部分が固まったので
左側のパネルの切り出しをしました。
素材段階での工作です。
写真のピントが全て工作板の文字に読み込まれて
いるようです。実物は相当3次曲面の削りを
済ませているのですが。全く見えません。
タミヤプラ板を続けて使っています。
写真左はクランクケースの右側部分の切り出しと
大枠の整形をしている途中です。

写真右が、上の写真の素材を作り込んだ途中です。
菱形の小窓がありますが筋彫りだけで表現も
可能かも知れませんが、実車資料を見る限り
別部品にするしかないと思いました。ところが
パネルのこの部分は厚さ5mm以上もあって
キチンとした切り出しが難しい作業になりました。


写真撮りをする時にきちんと左右対称に配置して
いればややこしい説明にならなかったですが。
クランクケース右側
整形されたベース部分にさらに追加工作を
して形が少し見えてきました。
最初のところでお伝えしたようにTA125は、
AX125市販車がベースなっています。
これらのケースなど当然共通部品が使われています。
ただ、模型の世界ではむしろ困り者になります。
ケース側面に磨き出しされた2本の突起があるライン・・・
工作としては025mmのプラ板を貼り付けて
さらに薄く削っています。
上の写真の拡大です
クランクシャフト側のカバー(丸板)は側面から見ると
周りの縁から少し落とし込んだ位置にあります。
ケースは2分割されているためその表現には
面倒ですが、周りの縁部分を1mm厚のプラ板に
丸い穴を空けてリング状の部品を貼り付ける。
そして、05mmのプレート版をそこに入れて段差を
見せると複雑のようですが簡単工作で逃げています。

ただ、プレートに細い溝がほってありセンターを出すのが
チョットめんどうでしたが、平板の段階で必要な溝を
キッチリ掘り込みコンパウンドも掛けて仕上げてあとで、
周りの円を切り出したら意外に簡単に終わりました。
しかしここはピカピカの磨き出しになっていますから
塗装でどう変わるか全く自信がありません。
クランクケース左側
ほぼ基本工作が終わった状態です。
右カバーと同様に市販AX125の共通部品が
使われています。したがってこちら側にも右と
同様の2本ラインがあります。
さらに菱形のキャップにも当然ラインがありますので、
全く同じように貼り付け工作にしています。


資料写真からそのラインは後縁ではなだらかに
消えているようです。チエーンカバーの一部に
あたる扇状のカバーなどが未工作ですから
併せてキッチリ仕上げたいと思っています。
クランクシャフト側には大きな丸いカバーがつけられています。前方の1ヶ所はケース本体に直付けされ
後方の2本はケースカバーに留められています。
厄介な課題は当時のビスの頭がプラスの形状です
レストアされたマシンにも、マイナスやヘキサゴンの
使用はほぼ見当たりません。

08mmのプラロッドに極細の鋸で十字に切り込みを入れて、
周りの角を落として半丸に仕上げれば出来る。?
理屈はそうですが、実際工作してみると、
トンでもない作業だということを認識しました。
当面お手上げです。どなたかこの問題、既に解決している方があれば是非、ご教示下さい。
だんだん手のかかる工作になってきたので
気分転換でC社のGPレバーを加工して改造しました。

まだフレームが未工作です。フレーム製作用の冶具だけ
先に作りました。
しかしクランクケースの大筋が出来ると、やはりシリンダーを
仕上げたいと思っていますが、シリンダーが出来れば、三国のキャブ2個(難物)とだんだんハードルが高くなりそうです。

先日テレビで見た、お笑い芸人の「アントキノの猪木」さんが、
持ちネタの物真似で
「元気ですかーーーーー元気があれば何でも出来る・・・・」
とやっていましたがそのネタ、少し身に沁みてきました。
資料さえあれば何でも出来る。とか都合のいい甘い考えを修正する必要が出てきました。
「資料が完璧だとデッチアップが出来ない」 模型仲間である三好デザイナーの模型語録が思い起こされます。

 Modelingnote もくじに つぎのページに トップページにもどる