TEA ROOM     模型と仲間と何十年?(その1)           30回 2011・10・9


もうすっかり秋だと思って早朝のウォーキングも着込んで出かけるのですが、まるで春先のように、いつものコースのなかでこんな綺麗な花が咲いていました。
春に桜の花の区別すらできない私ですから当然花の名前も知りません。
秋に開花する花がたくさんある事が驚きです。いかに自然の恩恵に預かりながら無頓着に過ごしてきたか、今頃になって気がつく有様です。

余談ですが、この散歩コースは海岸を埋め立てて造られた住宅地を周回する人工の造林遊歩道の一部です。その横を走る都市高速道路を景観上の問題と騒音から隔離するために造られたものです。小さな石庭まであって、まさにバブル時代の遺産?でしょうか。到底、昨今では考えられない公共工事の代表でした。



 
モデリングノートの製作記事も次回で30回と節目がついたと思うと何だか少しプレッシャーを感じ、良い作品を作ろうと意気込んでしまって頭の中が空まわりし何もまとまりません。
息抜きに、模型つくるだけのお話はお休みにして変な模型談義も読んで下さい。

 話が少し遡りますがそれも何十年も前までに・・・今から
46年くらい前になるでしょうか、当時福岡で模型好きな人達が13人ほど集まって「金曜会」という同好会を発足させました。クラブの名前は、毎月第一金曜日に例会を開催、飛行機屋の勢力が強かったので「FLYとFRIをかけて日本語にしたら」と私の冗談がそのまま名称になった他愛もない由来です。
その時代、何をどう間違ったのかプラモデルを作って美術ギャラリーで毎年作品展を開催するなどその背伸びした活動状況も、当時では十分社会から評価?されて何度もマスコミ取材を受けたものです。
そんなことから「金曜会」の名前だけが一人歩きして全国区となり、作品展には遠く関東関西の著名クラブから見学に来福されたり、今考えると空恐ろしい思い上がりクラブであったのかもしれません。その結果、よくある実力脆弱、理論達者の集団が見事に育ったようです。
 クラブを応援していただく模型ショップとプラモメーカーさんの力関係かもしれませんが、いち早く新製品の発売前の入手や、白箱キットなどを手にして一晩で完成させたりする強者?もいました。会員のほとんどが社会人で仕事も多種多様でまさかこんな人がこんなプラ模型が趣味にするなんて、ほかにもっと違うことあるでしょうと思っていましたが、私も他の人から見れば同じように思われていたのでしょう。
また、会員は会費はもちろんですが作品展の出展作品と費用分担、さらに、家族ぐるみのクリスマスパーティそれもホテルで、またメーカー工場見学と懇親会、製作資料収集と称する東京の洋書店巡りなどの参加が義務付けられて、考えればプラモ趣味もクラブ活動をしていくと、年間結構な費用をかかっていたものです。
したがって新規入会にも会員2名以上の推薦、あるいは社会人であることが条件など完全に大人の論理で運営していました。





良く残っていた新聞の切り抜き


ガリ版刷りの会報です。
 
 どこのクラブでも当然でしょうが、毎月課題を決めて1か月で作品を製作して例会に出品、発表する。これが唯一模型クラブらしい決まりごとでした。自分の好きなジャンルであれば気合いも入りますが、苦手な宿題になると困ったなーで2週間経過、もう降参と手を挙げてで1週間、どこか出張ないかなと姑息な手段を思ったり、他の会員の進捗状況を聞くと、最終的には何とか間に合わせるしかありません。これじゃいいものが出来るわけありません。
今思うと年間12作品をコンスタントにジャンルを問わず好き嫌いなく完成させることは至難な作業です。メンバーにはじっくり取り組んでいく寡作タイプもいます。仕事の関係で1週間集中して仕上げる人、そんなことからこの取り決めは、課題は定める、課題作品に取り組みたくない時は、別途の作品を製作する、期間内で完了しないときは、途中経過を作品提示で証明する。と変わりました。しかし、これもまたクラブ内の声の大きい人や年配者の意見がチラチラと出てきて「やっぱり作らせられるの。負担は左程変わらないなあ」のコーラスに変わっていきます。
「これでは趣味の範疇じゃなくなってきた。もうプラモつくりが仕事と同じ義務みたいになった」
「模型趣味はプラモを買っていつかこれを造るぞと積んで置く楽しみ方もある」
「何たって箱絵が綺麗だから買った。ストックを作るなんて駄目だ」
「人間にはバイオリズムがあって好きな事でも出来ない時がある。規則正しくは難しいね」
「自分の作りたい物だけ好きに作ったらいいと思うけど」
 オクターブ違いのコーラスも聞こえてきていました。
「何のかんの言ったて、プラモなんて作ってなんぼの世界じゃないの、それはできない理由探しで しょう」
「得意のジャンルをコツコツ続けるこれが海外でいう本当のホビーじゃないの」
「日頃、少しでも積み重ねていたら作品展の時に慌てなくてもいいのに」
「二人以上集まってできたクラブ、これは一つの組織、そして決まり事、それで運営、それは十 分認識の上でスタートしたはず、自由を望むなら個人活動に戻るしかない」
「楽しい旅行やパーティではクラブの恩典を受けて、モデラーの部分は分担しないのは可笑しい」
結果、退会を希望する人もなくコーラスは何とかハーモニーしていたようです。


 発足して10数年も経過すると、そろそろ模型少年で許される時代は少しずつ遠ざかっていきます。毎年地域の有力企業のご好意で解放していただいていた美術ギャラリーも道路拡張のあおりでビルが改装となり会場の確保もできなくなりしばらく作品展は中断の方向に向かいました。今考えるとそれは自然の成り行きかもしれません。
そうなりますと作品展のことを全く考えなくていいものですから、次第に例会に課題作品の持ち寄りが激減し始めました。例会は折角作ったご自慢の作品を批評するため、あるいは粗探しの場に変貌しました。いや、困りました。いくらなんでも模型作品の無い模型クラブの会合なんてただ皆でわいわいがやがやと議論?ただ駄弁っているだけです。ところが知恵者がいるものですね、例会に課題作品あるいは新作を持ち込んだ人を良い意味の評価を、すなわちその作品に無記名で得点投票をして上位2名にショップで使える金券を授与しよう。とえらい大層な話見たいですがほんの僅かな章典で競争心理が働くのでしょうか、見事に的中して作品持ち込みは復活し「今月は俺が一番だ」と大喜びしている様はまさに「金曜会」と思いました。
 それでも、製作中心派と例会議論派と二分されていきました。製作中心派は作品展の場を市内デパートや遠くは宮崎県のデパートまで拡張して、「金曜会」の勢力誇示につとめてきました。例会議論派ここでは穏健派はと呼びますが、対外行事にはたとえ仕事を休んでも応援隊で支援をしてくれました。これはプラモ愛好会というよりお互いの気持ちが理解しあえる、また家族ぐるみで付き合いができる信頼の一体感でしょう。今年の言葉「絆」を超えていたみたいですね。
 20年も経過しますとメンバーも数人くらい転勤で各地に移動していきます。メンバーが欠けることは寂しいものですが、それに乗じて旅行会の目的地にメンバーの転勤地を繰り込んだりしていました。逆に帰省のときは例会に合わせてもらったり、まことに変な集団でもありました。
いろんな出来事も交えて金曜会としてのクラブ活動は約30年くらい続きました。
私も創立から関わっていたこともあり、年令も年長組に属しているものですから、何にでも頭を突っ込み、さらに口出しは当たり前、傍若無人の振る舞い行いがあったようです。若手の会員には手下とか呼んでいたようで、ここらが「金曜会」解散後も未だ何かを引きずって異常な?交流が続いているようです。このお話の続きは次回にお伝えしましょう。

 



作品展パンフの表紙



宮崎新聞の広告

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