Modeling note file 17

MZ  RE125 1965  125cc (再製作)      連載2回

MZのRE125はすでに、このホームページのオーナーギャラりーに完成写真3枚に簡単な解説を付けて、HPスタート時からご案内しています。実は非常識なのですが、製作は確か2001年ですがあの時にはもう実物はオシャカになってジャンクボックスのなかでした。掲載はしたものの余りにも無神経な工作が目に付いて、全ての写真も出せないくらい恥ずかしいものでした。時間に余裕が出来れば早く改修(作り直し)をやりたいと思っていました。
幸い次の製作の準備が出来ていなかったので、この機会を利用して再製作に挑戦しました。時間的な問題もあり従来のような細かな進捗状況をお伝えする事は出来ないかも知れません。むしろ当時の工作での問題点に絞ります。
モデルとなるMZの125はあまりにもマイナーな車種で迫力も美しさもないかも知れません。単純に私の好みだけです。あまり好評でないのは承知なのですが簡単なMZストーリーもご参考にして下さい。


 8月8日 更新  分散したジャンクパーツを集める

 散乱している部品群を「これが確かそのときに作った部品で、これはキットから転用部品かも」よく見るとスズキRKの部品だったり結局殆ど揃わないし、上の写真の古いいい加減な工作のパーツで再生させるのはかなりの問題があります。それと過去に製作していると出来上がりが分かっているので今ひとつ「作るぞ」と気合が出ません。再生するからには前回の問題点を可能な限り解決して完成させようと自分に言い聞かせてスタートしました。

前回の問題点
1、製作資料が不十分なのに背伸びした
2、作図が曖昧で250ccマシンに
3、不明部品は半端な知識で推定
4、出来たのはMZらしきもの
5、きわめて雑な手順と工作技術
125ccクラスに足回り

50cc級のリムの転用ではタイヤとミスマッチ。そこで妥協点を何とか探してみました。

50cc用のリムの側面にH部分を構成する縁を2重構造にして貼り合せる手法(ずっと前に工作)をもう一度やってみました。今回は手順を連続しています。(下段に)
プロターキットの場合、最初に輸入されたモンディアルに径・幅ともにピッタリがついていましたが次回には250相当のものに変更されています。したがって50cc用をどれだけらしく見せるかになります。

手順
既存の50リムの側面を03mm削り糊代を、リムサイトに合わせたH部分を05・04プラ板で、リムの内径に面当てをして貼り付け、接着後にまわりの縁部分を切り取って整形、このままでは50用のタイヤが外周に広がり細くなるので、タイヤの内側を丁寧にカット(ニッパーが最適)リム裏側を修正した後タイヤ側面が均一に横に広がるようにセットします。2mm近く広いタイヤが誕生します。留意点はhの陵部分をきれいな丸みにしておかないとプラ板1枚追加の結果になりかねません。

(家にはプラの丸い板が沢山転がっています)
 
プロターフアンの皆さんならご存知のように、旧型キット?最初のキットではタイヤが溶ける(プラは溶かされる)とクレームが出ていました。これに対してプロター社も製作者も情報交換をしながら解決していたようで、あまり問題にならなかったのは初期キットのチエーン部品でした。ビックリしたのはベネリ250で市販の輪ゴムが付いていました。その後単体の(上の写真)ビニールチエーンが相当長期間使われました。このチエーンはプラを侵しません。その後の2重構造のパーツはスプロットを前後とも食べてしまいます。ただこの単体初期チエーンはキットのまま組み上げるるとスプロケットの歯が全方位で出ているという、これもまたおかしな組上がりになります。前から旧キットの活用を考えて実験工作をしていましたが、何とかこれならいけると思います。(20年前に勉強しとけば?おっしゃるとおり)手順 D・スプロケット本体を資料どおりに修正を。D・スプロケットの歯を中心部分から、チエーンで見えない部分を設定し切り落としてしまう。ポイントは緩やかに整形しないと歯が抜け落ちたようになります。(写真左付属のチエーンに併せて整形したもの)次に、このままではチエーンはスプロケット取り付きません。そこでスプロケット裏側から03mmのプラ板を歯の無い部分だけ約08mmほど出して裏打ちをします。当然歯が見える部分は歯の切り込みからさらに1mmくらい内側にセットするようにします。仮に組み付けましたが殆ど違和感もなくそこそこの仕上がりです。勿論、チエーンは可動しません。テストでは瞬間接着材2ヶ所チョン付けで収まっています。大事を取れば03mm線材のピン打ちにすれば完璧でしょう。最近旧キットが市場にでまわっているようです。キットを丁寧に組みたい皆さんにはこの手法も活用下さい。

Fフォーク、ボトムケースもこの際作り直すように削りだしました
写真右
コイルスプリング、今回前輪用、後輪用ともに線径と巻数を実車と
同じように合わせました。錫メッキ電線を使用しています。

写真左下
ハンドル回り レバー形状が特殊な事からジャンクから3種類の組み合わせで作ってみました。

フレーム
前回の残骸はありましたのでフートレストだけ利用、ついでに新たに作り変えました。一部R部分を利用しようと考えたのが間違いで
ひねりが出てだいぶ遠回りになりました。
  

MZ
は悲劇の2ストロークメーカー?


 

       1958年 MZ125 空冷




      1959年 MZ125 空冷
           
 東ドイツ(現在では東西の区別はありません)からのコンテンダー、MZは2ストロークに関して、日本のメーカーよりよほど以前に実験的な技術にトライしていた。しかしそれらの技術が様々の理由によって実を結ばなかったところに”人間”があった。
第2次大戦の後、レースでのスーパーチャージャーの禁止になった時、2ストエンジンの優位性もこれで終わりだと思った技術者は沢山いた。戦前の250・350ccクラスのレースでDKWが強さを発揮したのはスーパーチャージャーの技術に負うところが大きかった。チャージャーなしでどのように4スト勢に対抗する事ができるのだろうかと疑問を持っていた。しかし、依然として2ストロークエンジンを支持する人々も少数ながらいた。東ドイツMZ社のレース開発部門の責任者、ワルター・カーデンもその一人だった。彼は2ストエンジンがたんなるポンプ装置だけでなくもっと高度のものであると強く信じていた。カーデンはMZに入社する前は自作の2ストバイクでレースにも出場した経験も持っている。MZでの研究のテーマはデイスクインレット・バルブだった。
普通の2ストエンジンでは、ピストンの上下によってポートが開閉する仕組みだが、ヂスクバルブのほうが吸入行程が長く取れる利点を解明し、彼の開発した125・250ccは数年もしないうちにトップレベルに達し、西ヨーロッパのトップライダー達は競ってこれに乗るようになった。
 1959年マン島でプロヴィニに敗れて2位、後半スエーデンGP、アルスターGPなどでG・ホッキングが4勝をあげ、チャンピオンポイントでは2位になっている。
そしてMZのスターE・デグナーはイタリアGPで、ウッビアリを破る成果を収めた。次の年G・ホッキングとMZでタイトルは確実と予測したMVアグスタは多額の契約金でホッキングを引き抜いてしまった。
しかしカーデンはくじけず、1961年にはリッター200ps(125cc)を完成させる。スターE・デグナーは最後のアルゼンチンGPを残し2ポイントリードのまま西側に亡命し、125ccのタイトルはT・フイリス(ホンダ)のものとなってしまう。それ以降のライトウエイト(125cc)はMVにとってかわったホンダの独壇場となってしまう。MZチームのスター達は次第に去っていき予算激減、資材不足の状況に陥り事態を打開する必要があった。カーデンは61年に開発したエンジンに膨張排気管を付加することでさらに出力の向上が出来た。それらの基本技術はE・デグナーの亡命とともにカバンひとつに満たないノウハウが、スズキに、そしてヤマハにも流れてしまった。大企業で優秀な技術者を抱える日本のメーカーはきわめて短期間に新しい2ストエンジンの基本形をモノにして、もはやMZの技術は活躍の場を失ってしまう。
MZは常に新しい技術で開発したエンジンを持ちながら、TTレース、世界選手権シリーズの王座にたつことは出来なかった。


 三栄書房契約 Vic Willoughby  MZストーリーから引用
 

写真左上 
エンジンは一部修正で間違いなしでしたから、このまま工作をを続けます。
写真右上 
フロントフォークは塗装も済んでほぼ完成です。
写真左下 
ラジエーター アルミ製のピカピカ磨き出しの仕上げのようです。
タンクが銀色ですから対比出来るような工夫が必要ですが問題点です。
写真右下
出来上がったリアサスペンション


暑中お見舞い申し上げます。

再製作ということで作業は若干早くなりました。
排気管もすでに塗装前の状態です。
細かな過程を省略しますが、次回に一挙完成発表を予定しています。


     2009年盛夏     柴田一弥
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