Modeling note file 11
  MONDIAL 125 1954     
  
GIRO D'
ITALIA

 モンデイァル125 1954年 
  「ジーロ・デ・イタリア」
   出場車 仕様

 
  連載 12回予定
  


GIRO D'ITALIA (ジーロ・デ・イタリア)

 1914年に始まった古い歴史を持つ「ジーロ・デ・イタリア」は、イタリア国内を6日間かけて、臨時に閉鎖された一般公道を巡走するレースです。第2次大戦後、疲弊したイタリア経済と物資不足のなかで、普通の働き手が購入できる交通手段としてイタリア国内ではたくさんのオートバイメーカーが100ccクラスの小排気量実用車を提供してきました。しかし2輪レース伝統の国では、これらのマシンをコンぺティションの世界に引き込み速さを競うレースが国内で活発に始まりました。


 
1953年、第2次世界大戦で中断していた「モトジーロ」は当時の国内メーカーの全てが参加できるような規定で、排気量別に75cc、100cc、125cc、175ccの4クラスとされ、イタリア半島を女性のブーツに例えるなら、膝上15cmの北部の都市ミラノからヒールの根元の南部の都市ターラントを巡り、再び北部に向かって折り返す3000kmを優に超える過酷な競技で再開されました。林立する当時のオートバイメーカーは、このレースで好成績を挙げることがマシンの耐久力とスピードの信頼性を裏付けされる事から、外見は市販車で心臓部分はサーキットレーサーをそのまま移植した高性能マシンにチューンアップされていました。何しろレース速報によって翌日の売り上げが左右されることから乗り手もGPライダー級を使いました。


 当時のひどい道路状況のなかで1日500kmの公道走行はマシンにはテストを、ライダーには苦痛と辛抱の6日間でした。しかしその厳しいレースの勝者からヒーローが生まれていくのです。T・プロヴィニは1954年再開第2回のモトジーロで、父親のチューニングによるモンデイァル125で総合優勝を遂げました。モンディアルファクトリーはそのチューニングの秘密を渇望すると同時に、この非凡なる才能を持ったライダーをファクトリーチームに迎える事となります。若きプロヴィニは、こうしてGPチャンピオンへの階段を上がり始めたのです。残念なことに、マン島TTレースを凌駕する「ジーロ・デ・イタリア」は、ルマンのメルセデスの悲劇や、ミレミリアにおける観客を巻き込んだ同様の事故が原因で、イタリア国内での公道レースが法律で禁止となり幕を閉じることになりました。

 上の写真は現在かたちを変えて行われている「モトジーロ」の写真で往年の入賞ライダーがデモランに参加、
   休憩中のシーンです。NO・70はジレラ175でしょう。日本では数少ない中間排気量の175cc級が、
        50年代のイタリアでは名車と呼ばれるマシンがたくさんあります。全てジーロを勝ち抜いたマシンであることは,
          決して偶然ではありません。それにしても心温まる和やかな光景です。
             世界最速のGPマシンを造りだす日本とは異なる文化、モータースポーツの歴史の違いが伺えるようです。

 左の地図の茶色部分の左寄りにミラノ市が
 あります。 都市の紋章が素晴らしいですね。
 右の地図の茶色部分の左下がターラントの
 位置です。こちらの紋章はイルカに乗った
 ネプチューン?でしょうか・・・・

 ミラノ、ターラントともに城砦に囲まれた
 中世イタリアの代表的な都市国家でした。
 第1回 2月15日  資料の収集から
 
 
今回のモデリングノートはイタリア中間排気量の素晴らしい名車モンデイァル125cc
1954年「ジーロ・デ・イタリア」出場マシンに挑戦しました。
モンディアルは日本国内ではきわめてマイナーでありそれほど多く輸入もされていません。
プロターからもGPレーサーのキットが1機種だけ発売(第4作目くらい)されています。
茂木のホンダコレクションホールにはGPレース研究開発用として輸入した1台が
完全レストアされて展示されていますが、1:9の世界ではプロヴィニ追悼作品展に
不老隊の鈴木省吾さんがプロヴィニのフイギュアと一緒に出品しています。
西南堂さんや静岡のモデラーズクラブ合同展で作品をご覧になった方もたくさん
いらっしゃるでしょうが、超素晴らしい完成度で永遠に語られる作品でした。

 このキットはもう市場では見当たりません。古い年度の発売ですから、モリーニ同様の
2ピースの最中エンジンで到底そのまま組み立てられるのは、むしろ難題かも知れません。
1953年に発表したモンディアルワークスマシンは基本的に125ccから250ccまで
共通の部分が数多くあり数年間変えられていません。
結論から申し上げると、製作にはプロターのキットをベースにすると部分的な
改造で1954年型公道仕様が出来るの予定だったのですが。・・・・・・・・・・・・・・

 
 前置きが長くなりましたが、どうしてもお伝えしたいお話が残っています。
実名は伏せておきますが、いつも登場する不老隊の松永隊長のご友人で
広島県在住のOさんが、このマシンを輸入され現在、完全レストア作業中との
情報を入手、松永隊長を通じて実車資料をお願いしました。快く応じていただき、
ストックからエンジンを降ろした状態、各パーツと再組み立て、新品のタンク、
さらに最終出来上がりのモデル写真まで膨大な記録写真のCDを送ってくださいました。
図面を引くために資料の数十枚をプリントして驚き考えました。
これは、絶対に古いキットを改造して、それらしく造ることは申し訳なくて出来ない話だと
言う結論になり、ほぼフルスクラッチ工作の予定です。
いつも駄目だしの松永隊長も今回は凄い人でした。
しかし、製作途上で多分「駄目ですよ。チャンとやらなきゃ」と声がかかるでしょう。
松永隊長、O氏、ゴッドハンド杉田さん達の大変なご尽力に感謝しています。
実物のレストアと競作?完成する期日は1:9が少し早くゴールする予定です。
参考写真

プロター、モンデァルのキットのエンジン構成部品です。
一体成形された2個の部品を貼りあわせるとDOHCの
エンジンが完成するのですが。

前に製作した時もヘッド、シリンダー、マニホールド、オイルパン、
カムケースなど分離可能ギリギリまで切断して作り直した記憶があります。
モリーニ250のキットも同じ省略になっている部分があって、
デュアル点火用プラグ台座などを組み付ける加工も必要です。
勿論1954年の125ccはSOHCでヘッドは全く別物になります。
したがってエンジン全体を全て新たに作ります。
キット添付のタイヤ

タイヤパターンはやはりこのタイヤでないと困ります。
このサイズのタイヤは他のキットではデルビー125にしか
ついていません。
流石にタイヤ取りにキットをつぶす事は出来ませんので
前にガレージセールで入手していた半端キットから
転用しています。
古い製品ですからソリッドで、さらにプラを侵食する材質です。

工作過程で色んな細かい点の課題が見えてくると思います。
ランダムな記述になりますが、その都度お伝えするようにします。
今回は資料と図面と併行作業を開始していましたが、最初に
作品に見合うタイヤとリムの問題を解決しておくようにしています。
C社製のリムの在庫を使う(溶けない)事に決めました。
金属加工はどうしても苦手といいますか不得手なのでとうとう
「ゴッドハンド杉田」さんに加工手順をご相談しました。
ご親切に非常に詳細に、しかも旋盤の使い方のコツまでご教示下さいました。
おかげ様で初めてリム幅を1mm詰めてピカピカに仕上げることが出来ました。
さらに眼鏡などを洗浄する超音波発生器で水洗いしますと
あら不思議、「いやらしいような光輝さ」が消えてアルミ色の光沢に
変化していました。既に2週間経過していますが変色もないようです。

ちなみにこの機器は東芝製で家庭用に開発された小型なもので
7000円くらいでした。
(近隣の鉄道模型を作られる方から真鍮版の
洗浄で調子が良いと聞きましたので早速真似事をしています。)


 第2回 2月27日    面倒なものを先に

前に述べましたようにモンデイァルは日本ではマイナーなマシンです。
まして、6日間で公道を3000km以上も走るレーサーってどんな格好してるんだと疑問を持たれる方が
いらっしゃると思います。また大体どんなマシンを作るのかも見えていないのではと気が付きました。
1950年代後半の古い資料も相当あると思うのですが走行シーンの写真は数少ないようです。
あくまでも想定ですが、左の写真は1953年ジーロ再開の第1回の参加車だと思います。
右は1954年第2回参加車両だと思われます。(但し排気量は125ccの拡大版175ccのエンジンです)
エンジン左に垂直のカムギヤ駆動の特徴的なカバーがあります。125ccはカバーに横溝?フインがありません。
年代の見分けに排気がメガホンと消音器の違いとハーフカウルも気になります。しかしいずれもキックペタルを備えています。
さらにタイヤが一回り大きいサイズでスピードより悪路への耐久性を考慮したのかなと・・・・・・・
また車番プレートの後ろにはヘッドライトがあって、リヤーフエンダーには後尾灯とライセンスプレートが付いています。

今回、125ccと決めているのはカムケースの製作に自信が無くて逃げています。ですから見通しがつくと突然175ccタイプに変身するかも知れません。

プラチエーンの在庫もなくなり、今回はC社製の
金属組み立てチエーンを使いました。
前に説明書のように上手く事が運ばず失敗の経験を
生かしてできれば決定版を目指したのですが。

前回、駒の中心になるローラーのバリが後では完全に取れない
事からスプロケットが収まりにくい結果になりました。
色んな方法を試みましたが面倒でも単品全部をエッチング枠から
取り外して、1個1個ルーターで面取りを徹底しました。
大変な作業ですが完全を望めば時間をかける必要があります。
写真は駒部分とローラー部分を仕上げて、次の作業に移る準備を
したところです。前回手芸用の05mmシルクピンを使用しましたが
硬度の問題と頭の突起が円く、加えて頭の内側もテーパー状で
上手く収まりませんでした。また05mmの孔にスンナリと
ピンが通らず難しい思いをしました。今回は平頭の真鍮釘048mm
径のジャストサイズを見つけて使いました。

写真上側にあるのがが真鍮釘
1個づつ丹念に組み上げ、かしめ工作はバイスに挟んで
軽く圧力をかけるのがベターでした。
しかし、直径05mmに満たない釘ですからかしめ部分もひ弱で
少し引っ張ったりすると外れます。キットのチエーンの取替えで
あれば負荷をかけないようにすればこの方法でもいいのですが、
スクラッチの場合チエーンラインの調整も含めて相当着脱と同じ
ような作業を繰り返すことになります。

そこで今回はエッチングパーツのメリットを生かして、
裏側から僅かの半田を流して留めました。但し注意を怠ると
半田が駒とローラーに回りこんで作動しなくなります。
私は前の失敗作を利用して事前に練習しました。
前後輪のハブ

1・2mmプラス05mmプラ板の貼り合わせ。
スポークの頭(志賀昆虫ピン1号使用)の突起が
目立ちますから、かなり深く面取りをしておきます。
やりすぎるとプラ素材ですから直ぐに抜け落ちたり
しますから、同じ厚さの切れ端プラ板で、沈み具合を
確認して加減を練習すると間違いありません。
写真右
後輪用ブレーキパネル、ごく普通の形式でした。

写真左
前輪用ブレーキパネル、冷却孔には金網もありません。
しかし水平にフインがついています。簡単な工作ですから
資料どおりに仕上げています。反対が排出ダクトで吸気側より
小さなサイズでした。あくまで算出したサイズを基にして、
写真と立体の雰囲気重視の部分があります。
多分、やや大きい・やや小さいと言うことでしょう。
写真左 
D・スプロケットの部品構成です。

写真右
組み合わせるとこんな形状です。5本の孔に
ボルトが入ります。ボルトの頭はほんの僅か
出る程度ですからボックスレンチが嵌るような
大きい孔を途中まであけておきます。
ボルトは未工作で、最後の埋め込みます。
   
ブレーキドラム
03mmプラ板で組んでいます。ここでは冷却フインの枚数を
重視して逆算でスペーサー?の厚さを決めています。
今回065mmに設定しました。当然この厚さは市販されて
いませんから、各社プラ板の貼りあわせています。

先に足回りといいますか面倒な部分を消化しました。勿論先送りにしますと自分の性格上、
次第にいい加減になってきます。ところがこの足回りをキチンとした工作をしておかないと後で
どうにもならなくなり、また以外に目立つ部分でもあります。気合(武道でもないのに)が
あるうちに取り組んでみました。次回から難問山積のエンジン部分に挑戦します。


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