Tea room SPECIAL   雁の巣時代  第5部
   

2009年1月8日
第43回


















 
毎日、ミクシーから情報メールが寄せられ辛い思いをしていました。
これまで40数回にわたり、日本の偉大なる草レース?の創世記の展開をお伝えしていましたが、これも何と中断のままで1年間経過してしましい、お恥ずかしい限りです。ミクシーをご紹介戴いた笑吾さんが1:35のMCの世界を模索されているようで大変刺激になりました。私自身の日記もさることながら、ともかくこの「雁の巣時代」大河ドラマ?(大それた話)を一旦完結させるようにいたします。(もう昔の話の連続は忘れたぞ、話がつらがらない。当然です。ご理解願えるようにがんばります)
 
12月23日の祝日に、我々の雁の巣会の定期総会が福岡市郊外の某料亭?でで開催されました。お断りすべきは、私自身の個人的な都合で、
5月から、12月まで会のお世話を中断していて、会員の皆さんのご迷惑をかけたりブログ掲載のキッカケを失くしていたことも事実です。
何はともあれ、久し振りに、50年来のメンバーが懐かしく顔を合わせて、誰言うともなく「このは会、一緒にレースを戦ってきたこの会は戦友会?だね、他の集まりでは理解できないかもね」まさにそのにそのとおりで、途中興味本位で入会された人もいましたが、何故かなじめないように退会されていきました。
前にもお伝えしたようにレース競技での事故者は皆無でですが、やはり
メンバーは歯抜けになっていくことは否めません。
異口同音、「最後の1人まで活動を続けるぞ!」大変威勢のいい言葉が飛び出して、その勢いだけは止まりませんでした。 43回から最終回まで真面目に掲載を予定しています。どうか最後まで閲覧をお願いします。

                                            
 ・・・・・・つづく・・・・


1月11日第44回
















これまで。私たちの小さなプライベートレースチーム「REXCLUB}ができて地元のの熱烈な同好の仲間と、POPを中心にして九州かで本格的なロードレースを夢見て活動を続けてきた1955年から1962年、ここまでがタイトルにあっるように「雁の巣時代」と呼ぶべきでしょう。そして、この期間に起きたいろんなエピソードを中心にお伝えしてきました。
そうしますと1961年、もうそろそろ雁の巣時代の終焉がそこまできていたのでしょうか。また新しい時代への発展を予告するシグナルも灯りはじめたようです。
1962年11月、ホンダは鈴鹿に初めてのクローズドサーキットの建設竣工を発表しました。この年、そのサーキット開催の前哨戦ともいえる。第5回全日本クラブマンレースが、月14日〜15日に雁の巣のコースで開催されることが正式に決定しました。
その当時では、経済的に相当の余裕があるか、あるいはメーカーから、相応の支援がないとレースにのめりこむことは困難な事のように思えました。分かりやすく言えば、その時代では大仕事(古い言葉ですが、あるいはピッタリの表現?)でした。

また、主催のMCFAJの皆さんの度重なる、米軍飛行場との折衝も占領下の軍事基地の借用ですから、ジョンソン基地からの移転にも相当のご苦労があったようです。
何はともあれ、九州で初めて全国のライダーが競うロードレースが開催される事は、地元では2輪業界だけでなく地域全体の話題も膨らんできたようにも感じ取ることができました。 今でいう経済効果の期待と言葉でしょうか。

                                            
・・・・・・・つづく・・・・・

 
1月20日第45回












この年に行われた雁の巣の飛行場のコースが移されて開催された第5回全日本クラブマンには総台数172台の大挙出場がありました。
内訳では50cc級28台、125cc級39台、250cc級39台 、50cc級24台、500cc級9台  別途に選手権レースとして 50cc9台、125cc17台、250cc11台と8クラスの分けられました。
50ccクラスではホンダ市販レーサーCR110は始めてコースで実戦に登場し、ランペット軍団、セルペット陣営の市販車チュニーングマシンのなかで、いかに本格的なロードレーサーとしての違いを見せ付ける事が出来るだろうか?開催前から非常に興味深いものがありました。
話は尾ひれが付いて、だんだん噂が広がりとうとうCR110は一般ライダーには供給しない事になり販売分は解約?ホンダ技研に近いチームにのみ優先供与する。またマシンも3種類のグレード分けがあって変速段数も
回転数も異なり勿論パーワーバンドが違うマシンになっていて、九州地区のライダーには渡したくないらしい。しかしホンダ販売会社の力関係かも知れませんが、事前に数台のストックマシンは入っていました。
公道用の換装パーツをY部品?呼ぶレースキットと積み替えられると 不細工なマシンは一挙に 変貌し、
今まで見た事もないあるべき形状のロードレーサー専用車になって魅了されました。
好きな言葉で表現すると「綺麗だ工芸品の領域」当時はそのように思えて眺めていたようです。
ただロードレースは大きく変わる。各社の今後のレースマシンの情報から判断しても、サンデーレースの時代の幕は降りつつ、新しい幕開けがすぐそばにきていました。

                                              
 ・・・・つづく・・・・・



                                              

1月31日第46回

















この年は梅雨明けが遅れて7月はとても降雨の多い月だったと記憶しています。
7月15日はご当地福岡は日本三大祇園祭りのひとつに数えられる勇壮な博多祇園山笠のクライマックスと重なっていました。
あれだけ続いたうっとうしい梅雨空も14日〜15日には晴天になり絶好のレース日和で迎える事ができました。しかし一挙に気温が上昇していきなり真夏日になったためまた違った心配事が話題になりました。
(まだその頃は路面温度やタイヤグリップとかそんな問題よりもエンジンの熱ダレのほうが懸念される事多かったようです。勿論タイヤの選択などライダーから言えるものでもなく与えられたものがベスト)
50ccクラスでは、この年マン島GPでデグナーがRM62を駆って優勝した勢いが、スズキ市販セルペットにバナナチャンパーと呼んでいたと思いますが大きな排気管を下げフルチューンされた、とても50ccとは思えない強力なトルクを生かして、コーナーから鋭い立ち上がりを見せて驚かされました。トーハツ陣営は17台の大挙出場で16インチタイヤを装着した完全輸出用マシンも供与されていたようで、国内レースでの実績から熟成された感じが読み取れました。
話題のホンダCR110は東京スピードクラブとあとひとつチームに供給されたマシンは圧倒的にストレートの伸びに差があるように思えました。ライダーも僅か2000回転範囲のパワーゾーンを上手く使いきる走りには、そうとう以前から4スト高回転の扱いに習熟している事が伺えました。
いずれにしても、当日の気温と相当に荒れてきた路面を考える時、どのマシンにも、また誰でも優勝のチャンスがありそうな公式練習の風景でした。

                                                 
・・・・・つづく・・・・
 
 2月6日
第47回

















下馬評では、九州の雁の巣コースで開催されるからコースを熟知している九州の地元ライダーが圧倒的に優勢だろうと言われていました。雰囲気からしても地元のライダーの、一部ダート路面がある部分にほぼ全速で飛び込む走りに象徴されていたのかも知れません。
しかし、各レースの公式予選を冷静に見ていくと決してそんな状態ではありません。関東勢も関西勢もその走りにはコース不慣れを見越して、きわめてマージンを残した余裕のあるしかも落ち着いたライディングでトータルでレースをつくる走りは、九州勢の一環した熱い走りでのレース運びがすべてでは無いようにラップタイムもそれを裏付けていました。
特に話題の250CC級に登場したヤマハTD−1の美しいマシンから絞りだされるジェツトライクサウンドと呼ばれた甲高い高周波音を残してストレートを駆け抜けいく後姿を見ていると、何故かあれだけ速かったヨシムラスペシアルマシンの動きが重苦しい気配を感じ、九州勢優勢に少し危惧を覚えました。
しかし、コーナーに限界までギリギリに飛び込んで直線的に脱出していく地元ライダーの走りを見ると、これもレースのひとつのスタイルで一番速くゴールラインを通過すればウイナーになれるのですから。
私のチームに新人の高校生でN君にはホンダ販社のご好意で125cc級出場にCR93が供与されました。もともと感性の鋭いタイプでしたから最初からマシンのポテンシャルを出し切って公式練習にのぞんでいました。とても始めてライデイングする純レーサーとは思えないような走りで見事に結果を出していました。この走りにチームとしては、N君に過大な期待と負担を与えすぎたのかも知れません。レースは何が起こるのか決して甘い予測は出来ない事を知る事になりました。

                                               
 ・・・・・・つづく・・・・・


2月21日第48回





















本番決勝レースの結果を振り返れば、考えたくなかった悪いほうの予感が的中し、関東勢に与えられた2台のCR110の別格の高性能には驚異を超えて驚愕の域でした(いろんな噂に尾ひれが付いて実は6速ミッションが搭載されている話まででていたようですが、真偽の程は?)
しかしコーナーでのシフトダウン、シフトアップに違いも見て取れたように思います。
50cc級に代表されるように125ccクラスも含めて、ホンダ勢は軽量級4スト市販レーサーの総力を結集を見せ付けて、レーシングマシンの方向性が既に定まっている事を感じました。
第5回全日本クラブマンレースで特筆する事は、このレースでそれなりの
相応の結果をだせたライダーが本格的に、新しい時代(鈴鹿時代?)のロードレースの世界に向かって走り出しました。国内GPはもとより、世界GP挑戦を目標に・・・・・・・・
鈴鹿前哨戦、第5回全日本クラブマンレースのなかで級で特に印象が強かったのは、やはり50cc級優勝ライダーの大月選手、片山選手と全く異なる走法でヤマハTD−1を250cc級で優勝に導いた三室選手のレース運びでした。ずっと前に始めて雁の巣にTD−1が持ち込まれた経緯を
お伝えしましたが、国内レースに初登場して、注目の250cc級のマシンの違い、すなわち市販ロードレーサーとスポーツタイプ改造マシンではそれぞれマシンの目的と狙いが異なる事も歴然としました。ヤマハ勢もまた大きな手がかりを、ホンダ勢もCR72の開発熟成に、コンストラクター、ヨシムラCBもさらに軽量化とパワーアップで雪辱を期す姿勢が伺えました。

・・・我がチームの新星N君のCR93は最終回まで2位につけてトップを脅かしていましたが、
残念ながら気力がマシンを上回り転倒リタイアしました。

                                              
・・・・・・・つづく・・・・・・



 

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