Tea room SPECIAL   雁の巣時代  第7部

第56回 5月23日

 55回らの続き

 英国マン島行きが「幻にツァーのならんようにせんといかんね」
「幻は幻に終わり話だけの世界にしか残らんもんね」まとめの段階からから幻の言引っ張られて
脇道のそれてきました。

「昔の幻の最高鈴鹿ラップタイムはまだ破られていないよ」・・・・ 1964年だったと記憶していますが,
ヨシムラホンダ℃B77・305ccが、当時のレッドマンより15秒以上早く、現在のF1でも超える事が,
出来ないようなラップレコードを記録しているのです。
ごぞじのように、当時は電子計測がなされていません。基本的に3名の計測者がスミス製ストップウォツチ3個を使って個々に計測し、その平均タムを公式記録として残していました。

記録を立てたライダー自身をまさに驚きです。「確かのマシンも体調の好調、気合も入っていた。勿論ショットカットもしてない。しかしいい走りは出来たけど・・・・・まさか・・・・それはあり得ないと思うよ・・・絶対に何かの誤りだと思うよ・・・・信じられないしそれは、これからのラップタイムの挑戦に困る事のなるんじゃない」「しかし公式記録として残ってしまうからね・・・・それじゃ参考記録・・・・なんの参考記録・・・益々混迷していますが、以前としてこの記録は残っているようです。

本人は現在70歳、オートポリスサーキットでリッターマシンでサンデーレースに参戦中のツワモノです。ちなみに第1回鈴鹿18時間耐久レースではヨシムラホンダCB77で僚友の松本明選手と一緒に走り、見事優勝に導いた素晴らしいライダーの一人です。

                                                 ・・・・・・・つづく・・・・・・・


第57回 5月26日

 皆さんご存知のように、仲間の高武君、永松君は2輪から4輪の転向してホンダS800をはじめCANM、
そして日本GPの制覇など大活躍をしています。残念ながら私は車輪が4個もある乗り物は苦手であまりくわしく知りません。オートスポ−ツ発行の日本の名レース100選29号で無茶苦茶ぶりが控えめに伝えられています。
参考にご覧ください。
彼らは4輪転向後全く2輪の世界からは離れていましたが、実はこの後、あまり知られていませんが、随分の年月が過ぎたて鈴鹿8耐に出場しているのです。エントリーに出場チーム名を「チーム雁の巣」を予定したのですが、マシン供給先の貸与の関係からチーム名は遠慮して変更しました。

2輪から遠ざかっていたというものの、元GPライダーは鈴鹿入りして練習に入ると血が騒ぎ始めたのでしょう。声を揃えて博多弁で「この車は全然走らんバイ」とぼやきが出てきました。

「ストレートではアット言う間にぶち抜かれるし」
「コーナーは全然曲がらん。これじゃこけるバイ」
「俺達の乗り方が悪いとかいな。言うこと聞かんね」
「どうせ走るならトップグループに居らんと雁の巣の恥バイ」

さて、そういうことから全く素組みのストックマシンを徹底的に洗い直して、せめて平均的なレベルまで仕上げる作業が開始されました。

                                            ・・・・・・・・・・・つづく・・・・・・・・・


第58回 5月30日

 ある程度のレベルまで仕上がったマシンを習熟させながら、タイムをつめていくと、やはり、
そこは昔取った杵づかから、ライダーのとしての感覚が黄泉がえって?くるのでしょう。
さらに秒単位のタイムw詰めるために、次第に細かい作業と修正を重ねることになります。エンジンについては、
マージンを残した先ず先ずの出来上がりで、いよいよタイヤとサスペンションセッテイングの組み合わせまを
残すまで追い込んできました。

そのなかでも、タイヤの選択は難しく、感覚的なものでありながら結果は超現実的な結果を残します。Nライダーは「マシンはこれで走れるようになった。大丈夫。あとタイヤをもう少し詰めたい」そんな要望から供給してくれているタイヤメーカーに「M社さん。前輪はほぼ完璧、しかし後輪がどうしてもなじまない。言い換えると付いて来ない感じ」M社チーフ「うちとしてはこの後輪が最高の組み合わせなんですけど、ご指摘の部分が我々のコンパウンドの特徴でもあります。早く慣れて頂くし・・・・」「どうしてもマッチしなければ、他社のタイヤ選択も考えられたらいかがでしょう。ご遠慮なく履き替えられて結構ですよ」これまた好意的な返事がかえってきました。

 タイヤメーカーさんの協力的な回答にに甘えて、Nライダーは
「D社さん貴社のタイヤご協力願えますか?」D社も気持ちよく「喜んでお手伝いしましょう」
と言われて全面的にタイヤの換装、サスセッテイングを、修正して試走に入りますが、後輪側はジャストフイット、
コーナーでのコントロールの容易さもあって8時間長丁場も大丈夫だろうとまとまりましたが、
「チョット待って、後輪がいい分だけ前輪に問題が残る気がする」
「高速域でフロントが少し振られ、グランドスタンド前ストレートの最後で不安定な突っ込みになり、第1コーナーに入りにくい」

「困ったな、タイムは上がったが8時間この走りでいけるか心配だな」

                                                 ・・・・・・・つづく・・・・・・



第59回 6月2日

 耐久レーサーの最終コースのセッテイングはそう簡単に結果は出ません。基本パターンから色んな可能性を求めて発展させる、それをトライする事の繰り返しです。
そこまでの探究心は別としても、Nライダーは自分のライディングのなかから新しい何かを発見しました。あまり考えられない、どちらかと言えば無茶苦茶の課題であり結論でした。怖いもの知らずの振りをして
「D社さん、申し訳ないけど、お宅の後輪ピッタリ。ところがフロントが私にはこなしきれない、前輪だけM社を履いたら駄目?」
「M社がどう対応するか分かりませんが、うちの方といいですよ。但しこの交渉はNさんが直接了解を取り付けていただかないと・・・・・・・・・」
M社に再度、低姿勢でお願いをすると、
「D社さんがOKなら、うちもいいですよ」
と返事をされて、きわめて変則的なタイヤセッテイングになりました。
しかし、この選択でラップタイムが無理なく1秒近く詰めることが出来ました。
これは冗談でなく本当の話ですが、当時声を大にして話すような内容ではありませんでした。もう時効でしょうね。忘年会の席上で後日談があってもう少しこの話が続きます。
一緒に走った、Kライダー(お分かりでしょうが高武君)から、
「永松、お前はそげな事をしとったとや、今始めて聞いた。俺は何も聞いとらんばい。何も知らんで走らされったとかかいな」
「笑い話のごたるけど、これは怖ろしい話バイ」
「何も知らんやったけん、安心して走れたと思うね高武ちゃん」
「いや、お取引のタイヤメーカーさんにえらいご迷惑をかけたかな」

ここらでちゃんと経営者の視点に戻り気配りを見せていました。

            ・・・・・・・・つづく・・・・・・・・


最終回 6月4日
 
戦績は、オールドライダーにとっては驚異的、途中7位まで順位を上げる好成績でゴールを目指していましたが、途中マシントラブルのためリタイアをしました。供給メーカーさんの名誉のために申し上げておきますとエンジンブロー、タイヤトラブルなどのマシン酷使によるリタイアではありません。全く考えられないような小さなミスが原因でした。
変速シフト3速に入りカタマル。びくともしない動かない。
シフトレバーの軸に摺動垢がたまり抱きついていました。
「何よ、CRC5ー56の世界じゃん」誰かの声でした。

雁の巣の侍達の最後の2輪挑戦はこんな結果で終わりました。

約60回にわたり、ブログの日記形式から大きく外れた回顧録という手順で、お伝えしてきました。まだまだ、沢山の出来事はありますが私自身の記憶もだいぶ曖昧になってきています。
ブログの記事になりますと、つづく文章の脈絡がつながりにくくて、
「これは毎日書き続けていない事が一番の原因ですが」私には少し不得手な方法のようです。ある程度まとめてから、ホームページに一括して転載させていただきました。その結果沢山の方から、メールを頂戴しました。

「雁の巣時代を知っていて懐かしい思い出に浸りました」
「文中に出てくるAさんの消息を知りませんか}
「Gさんとは海外で会いました」

結果、少しだけこの拙い回顧録を閲覧された方のお役に立てたかなとうれしく思っています。
雁の巣の時代は既に半世紀も前に幕引きをされ終焉を迎えています。心情的に、ロードレースの発祥の地を「九州雁の巣」と勝手に決め込んでお話を続けた事をご容赦下さい。

戦後、本当に厳しい時代に、誰でも関わることが難しいなかで良い仲間に
囲まれて一緒に青春時代を謳歌できた事に感謝しています。 松下幸之助社長の有名な言葉に、
「青春とは心の若さである。その心を持ち続けることによって青春はあなたのものである」
今からもこの気持ち忘れづに残りの人生を大事にしたいと思っています。先立った先輩達を懐かしみながら「雁の巣時代」回顧録を終わりたいと思います




(参考)
セピア色の写真はPOPヨシムラが1979年に帰国したとき集まった雁の会のメンバーの一部です

            長期間の閲覧をありがとうございました。(終わり)     柴田一弥




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