Modeling Note      file 7
 HONDA CB72 YOSHIMURA SPECIAL  FINAL LAP

4月にスタートしてから紆余曲折、迷走しながらもやっとフイニッシュラインを通過、チェッカーを受けました。
自分の考えていたものとは少し違う結果になったようですが完成しました。
別項のプロヴィーニ追悼作品展にも参考出品を予定していると気持ちがもう次の作品に移って詰めが甘くなるようです。
ともかくこのレースでは表彰台には上がれませんでしたが何とか完走できました。


ヨシムラCB72を語る

松本 明氏
・・・当時、対米輸出を含めてこれだけたくさん売れた市販スポーツ車は
無かったのではと思います。CB72はあくまで公道で走ることが中心の二輪で
CR系とは一線を画したものです。しかしヨシムラチューンによって量産車が
これだけのポテンシャルを発揮できたのは驚異でした。
限界までのチューンアップで耐久性を疑問視されていましたが、
エンジンの特性を把握すればそう簡単に壊れることはありません。・・・
・・・スズカサーキットのヨシムラマシンは水を得た魚みたいなもので
圧倒的な速さでメインスタンド前を走り抜けていましたね。・・・
松本氏は1964年8月、第一回鈴鹿耐久18時間レースにヨシムラCB77で
(松本・緒方・青木)のチームで出場。1位を走っていた本田技研チームを追い上げ
エンジンブローに追い込んで、優勝に導いた伝説のCBライダーです。
現在は福岡市郊外に窯を設けて趣味の陶芸にいそしみ、
クラブ雁の巣会の世話人も努める。


鈴鹿耐久を走ったCB72とCB77の2台のヨシムラSPECIAL、72タイプは完走を逸しましたが、77タイプは
18時間を走りきって見事に優勝しました。ともかくよく廻りとてつもなく速いと言われたマシンがさらに耐久性でも
確実さが立証されました。当時18時間の長丁場を量産改造マシンが完走だけでも大変な事ですが、これを優勝させる
という事は奇跡に近いものだと思います。
お伝えしてきましたCBの話、最終回です。ありがとうございました。 柴田 

9月8日 追加部品をつくる?
残っていた小部品(ステップ・ガソリンコック等)を追加工作しました。コックレバーに何時間も要しました。
無駄な労作(切り詰めると駄作?)を記録したのですがファイルが見当たりません。とても残念です。


完成写真
右側面

タンクに軽くクリアーをかけました。
いつも光沢がでなくて苦心するのに今回、
異常にピカピカになり屋外撮影の背景が写りこんでいます。

ブレーキドラムのパネルの穴は決まった配列やパターンはありません。ラフにやるとただ汚いだけになりそうなので等間隔で処理しています。
左側面

実はガソリンタンクにドライデカルで
YOSHIMURAを貼り付けてみました。
あまりにもキッチリしすぎて、スペシャルタンクのイメージが変わりました。
またウイング付きのHONDAマークも
試してみましたが、それは在りえない状態ですから、また取りやめてマークなしに戻しました。

この作業でタンク再塗装の羽目になり遅れに拍車をかけました。
右前
特に補足する説明もありません。
しかしヨシムラマシンらしさはこの角度がもっとも表れているようです。
同じく左前から
このマシン設定は60年代前半の国内レース
でクラブマンレース出場の仕様にしています。レギレーションでカウル装着は不可で、前と左右に車番プレートがありました。
細部の写真

写真左
排気菅は着色していません。フランジは市販車の場合、菊座というフイン付きですが、レース仕様では平型に替えられています。多分CR71のパーツではないかと思いますが確認できていません。

写真右
ハンドル廻りです。Hmマークのついたタコメーターパネルに注目。Sさん有難うございました。
 エンジン架装をした右側部分
 同じく後輪部分
苦心のステップが少し 見えていますが。
左後方から
上面からの全体

ガソリンタンクの銀塗装とシートカウルの
アルミ磨き出しの違いが何とか表現できた
ようです。
左後方から

CB72をこの位置からみると
どんな感じになるかと思っていましたが、少し太めの健康優良児の雰囲気になっています。
これはカメラのレンズの位置のせいでしょう。
同じく右後方から

こうしてみると量産車改造ベースのクラブマンレーサーとはとても見えません。
始めからひとつだけの目的のために作られたレーサーそのものになりました。

実車とはニュアンスが少し違う
ミュージアム展示車両のような作品になっています。

金属工作の量が多くなったので、意識してトーンを落としたつもりですが、逆効果でメリハリがついて光輝いています。

長期間の閲覧ありがとうございました。

今回の作品はあまり知られてない日本のロードレース発祥の地で生まれたヨシムラマシンです。いろんな面で
ご理解を得られない部分がたくさんあったと思います。しかし製作者からするとマシンが現存して、このマシンに
かかわった人が私の周りにたくさんいます。つくりやすくて、またとても難しい課題でもありました。
連載開始の冒頭でお伝えしたように、Kimsの輕部さんからレベルのキットを借用して個別部品のサイズを
正確にだせたのが完成の要因と申し上げても過言ではありません。35年前にレベルの設計水準の高さに脱帽です。
またデカルをはじめ、たくさんの皆さんの応援で長丁場を克服できました。厚くお礼申し上げます。
一応、年内スクラッチ製作はお休みにして早速、プロヴィーニ追悼作品展の課題作品に取り掛かります。


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