MODELING NOTE  File 35
 
 BENELLI 1959年 250cc単気筒 GP RACER       連載5回予定    FULL SCRACH MODEL
イタリアベネリ社のマシン
日本ではホンダ多気筒によく似たOHC6気筒エンジンを搭載したセイ750やクアトロ500などが馴染みのあるようです。80年以降のマシンは全く知識がありません。
模型では250cc350cc4気筒を搭載したGPレーサーがプロターからモデル化され、記憶ではモリーニとほぼ同時期に籐商会が輸入して日本語のハードボックスと説明書入りで販売されたと思います。何故かベネリにはチエーンがついてなくて、輪ゴムが入っていたので驚きました。最初に作ったのもベネリ250でしたが製作に思い入れもなくプロタージャンクの1号でした。
 ベネリ社は1911年にテレサ・ベネリの6人の息子達の将来をを考えて財産の全てを投資してベネリ社を創立しました。最初は車とオートバイの修理専門工場規模でしたが、ほどなく修理用パーツの製作を自社で手がけるようになりました。
1930年自転車のフレームに75ccの2ストエンジンを搭載したものに98ccまで排気量拡大をしてベネリ社最初のオートバイの製造を開始しました。四兄弟のなかでトニーノがレーサーとしての素晴らしい才能を持っていた事から競技仕様のマシン開発に傾注し参戦も続けるますがが第2次大戦で工場も破壊され1949年まで生産を再開することができませんでした。
1950年長男は独立してモトビー社を設立。小排気量マシンの発売に全力を注ぎます戦後のレース活動は1950年マン島TTでD・アンブロジーニが250cc級で優勝。1960年代にはT・プロヴィニ、レンツォ・パゾリーニ優勝を重ねている。更に69年にはケルキャラザース250・350のWタイトルを獲得しました。
ベネリ250FOUR(プロターのキットモデル)
1960年6月、ベネリは製図板からテストトラックに現れるまで僅か6ヶ月という驚異的な期間で進めた。しかしここからの開発のテンポはきわめて遅く、シングル250から並列4気筒に一挙に移行するには厳しい技術試練と財政負担が待ち構えていました。1963年ベネリ4気筒はは250ccの世界タイトルに迫ったモリーニ単気筒に匹敵するまでのマシンではありませんでした。ベネリはモリーニのライダー、T・プロヴィニを引き抜きマシン全体を変更する指導を受けました。その結果、ベネリ4気筒は優勝を争えるまでのマシンに進化、さらにホンダマシンに勝つためにはあと少しのパワーが必要と考え1966年16バルブ55bhpエンジンを開発しました。しかしこのマシンをマン島で走らせたプロヴィニはクラシュ、脊髄骨折の重傷を負って選手生命を絶たれるという幕引きになりました。

この挫折からベネリはケル・キャラザースにすべてのレース活動を託し、前述のようなタイトル獲得に寄与しました。だが不運?は続きます。開発に10年を要したのに、FIMは翌年250ccは2気筒6速以下に制限しました。最速のマシンは2度とGPコースを走る事はありませんでした。
BENELLI 250cc 単気筒(1959年)
今回、
製作目標のマシンは当時モリーニと並んで最強のシングルと言われた左のマシンです。1958年モリーニ単気筒と酷似しています。下の写真を見てください。15年前に製作した二台目のベネリです。収納ケースの一番奥にあったのですが、カビが出ています。勿論、タイヤ、ブレーキドラムの違いなど多数あるいい加減工作の産物です。(キットはもう1台ありますがこれは最終入荷分しょう。モリーニのパーツなどが混入していますのでそのままストックしておきます。)補修工作をするなら併行してシングルを製作、350ccと合わせてベネリのトリオにしたいと、そんな甘い考えでスタートしました。材料が底をついているので相当工夫しないと完成しないだろうと若干心配です。工作手順も少しチグハグするでしょう。代替部品のご紹介もします。
ベネリ単気筒は素晴らしい機能美ですね。うまく再現できればと思っています。
 11月4日 ベネリ250単気筒の準備工作 第1回

 実車諸元
 

 排気量   248cc (70X64・8mm)
 圧縮比   11・5:1
 気化器   DELL'OTO 30mmSS
 出  力   33hp/11500rpm
 変速機   6speed
 最高速   210km/h以上ijyou
 重  量   116kg
 公表データはモリーニ1958年と同じ水準です。

重要部品の選択
ホイル・タイヤの問題 製作図面に書き出しをするとキットのタイヤは少し大きくなります。ホイルベース換算では約5%程前後に伸びています。できるだけスケール忠実を考えると、最初のアプローチのタイヤの選定が大変です。手持ちキットが在庫豊富の頃はあれこれ入れ替えていましたが、現在はそう簡単ではありません。サイズだけ合えばそれでいいと・・・そんな事もできません。工作でいつも足回りが優先しているのは、こんな事情があるからです。目標作品の決定には、資料、図面、タイヤ問題、これらの見通しがつくまで相当の時間を取られています。
タイヤの比較

左のタイヤはどちらも18-3・00サイズ後輪です。実測しますと見てお分かりのように左側が直径6mmほど大きくなっています。プロターの場合、初期のソリッド型、後半の中空型によってサイズが異なります。したがって外径サイズとトレッドパターンを踏まえて組み合わせて使います。
今回の場合、ストックのキット、タイヤだけのジャンクなどある程度、材料の棚卸しが頭の中にあるので困りました。
あるいは、このマシンの製作は無理かも・・・・しかし少しくらい妥協しても挑戦するか・・・・再度資料を点検しました。

白黒写真の走行中のマシンからタイヤパターンを見極めるのは工作より大変な作業ですね。
事前準備でパワーを遣い切ってしまいそうです。
このタイヤが合格

タグにあるモンディアル250キットのタイヤです。これは50年代後半に使用された種類で、前輪の余分な突起を削れば使えるのですが、数少ないキット在庫から貴重なモンディアルを欠品キットにするのは何か勿体ない(実はそれだけの勇気がない)と思ってしまうのです。
では、このキット必ず作るの?と言われますとそれも無しかも知れません。模型マニアの本性かも知れません。
結論は、他の方法を考えることにして箱に戻してやりました。
リムとの関係

タイヤサイズの問題はリム形状も大きく関係します。プラリムを使って直径を少し小さくし外側に膨らんだ仕上がりにしないように工作することも可能です。思いめぐらし昔製作したベネリ4気筒を眺めていると、カビまみれのタイヤは初期版のものでした。多分、工作時にタイヤ欠品(何かに使っている)でジャンクタイヤからサイズピッタリで補充したのでしょう。
ジャストタイミング、250フォアも一緒に補修することに決めたことだし・・・・では4気筒の穴埋めは・・・・プラリムだから加工して中空のジャンクタイヤで補填する。

何れにしてもCOSMOのリムまで用意しているので、早速下ごしらえに入りました。第1回は今までお伝えしていなかった準備工作の地味な面をご紹介します。
リムの研磨

COSMOの36穴素地のままを使用します。(NHK朝ドラ、梅ちゃん先生で旋盤工作のシーンがたくさんあって作業に親しみがでました)
1、極細の真鍮ブラシで表面のカスや付着分を取ります。
2、400番の布ヤスリでリム内側の梨地を削ります。
3、800番の布ヤスリで光沢がでるまで研磨します。
4、ミクロファインで仕上げ磨きをします。
5、ピカールを含ませた布で磨き、白布で拭き取りを。

ニップル部分の突起部分に磨き残しが出ます。反転させて次の作業で解消させます。(作業手袋は絶対着用、着脱はあまり強くしないように、リムが変形します)
ある程度の時間が必要でと怪我の心配もあります。
リムの比較

写真が悪くて比較になりませんが、勿論、左が研磨済の完成品です。ご存知のように商品として研磨済のリムがあります。
面倒な作業で我慢を強いられます。加工済のリムを購入される方がいいと思います。加工済もとても綺麗な仕上がりです。
またも旋盤工作

タイヤが決定すると最初にFフォークのボトムケースを準備します。ジャンクにチリアーニなど全く同じ共用部品があれば転用を考えますが殆どの場合新しく作っています。これが意外に曲者で、ケースにインナーチューブが入る構造にすると、15mm程の孔が必要になります(ダミーで継ぐ方法もありますが強度と構造上の違和感が)ケース外径4・8mmのロッドに3・8mmチューブの孔を開けると外皮05mmときわめて薄く旋盤加工でないと真円を出すのが困難です。
工作例ですが先ずロッドに1mmのガイド孔を空け、次に旋盤で3mmに拡張、そして3・8mmに拡張します。
工作ポイントは最低速で、切り屑10mmくらい出たところで刃を一旦止めてから戻して刃の溝についた削り滓を取り除いてから作業を進めます。溝にはまったプラの削り滓が膨張して固まり、さらに摩擦で外皮が溶けて失敗します。最初のピンバイスで空けるガイド孔がセンターを捉えていれば下の写真のようにキチンと収まり強度も十分保てます。
プロター最初のジャンク

何か転用出来る部品がないかとジャンクBOXを探してみますとベネリ4気筒のものがこれだけ残っていました。確かプロター2番目の作品と思います。そのまま転用できるのはシートのようです。シートは図面と合わせると傾斜角までピッタリと一致しています。50年前のジャンク部品を・・・・・これは活用(いい言葉)と決めました。

日本のマシンが続いていました。久しぶりに全部イタリアンレッドのレーサーに挑戦しています。更新が不定期で閲覧の皆さんにご迷惑をかけています。年内完成を目標にしたいと思っています。     
                                  

                                  柴田一彌


 11月17日   少し進みました。 第2回
写真はマン島の走行順位掲示板です。 1990年頃でしょう
ハブの製作

今まで、数多くハブを作ってきましたが、やはり方法手順は別にしても自作の場合は強度の問題がの残ります。射出成型のように限界まで細く薄く仕上げると、スポークの頭が90度鋭角に曲がるため若干の遊びが必要になります。厳しく追い込んだ工作の場合、スポークを通しただけで破損することもしばしばです。最近では標準型と呼んで設定している材料は、1・2mmリブ05mm裏打ち用合計1・7mm構成です。この厚さであれば上下から角度修正を入れても実質1・2mm厚くらいでスポーク頭の面取りも可能です。工作例は志賀虫ピン1号2号のスポーク先端を生かすにはピンの曲げ作業は仕方ないと思っています。

裏打ちした余白部分を落としてから全体が平面の状態で必要なスポーク本数の穴を空けます。それからリブに角度を付ける場合は斜めに削ります。
虫ピンの頭部分が収まるように面取りをして4000番クロスで最終仕上げになります。
右下写真、スポークの頭だけが半分くらい出ています

これは少し見苦しい

250cc4気筒の改修を倂行すると・・・・悪乗りでした。
左上写真のようにリム部分溶けて修復不可能でした。ついで工作で悪いのですが、MZ250のリムが1組出てきましたので転用しました。ところがこのリム中心の貼り合わせ部分が高くなっています。スポーク穴を準備出来にくい状態でした。

切り取ったあとから気がつくなんて・・・・既製の鋳造ホイルを使えばと思ったのですが、殆ど意地の世界です。

またもや裏打ち工作

ニップル外径08mmであれば3mm幅(05mm厚)のプラ板で十分と帯状に巻きました。
今回はこの作業が中心ではないと言い聞かせながら、何度も接着状況を確かめて、最後に瞬間接着剤をたっぷり流して固めています。

趣味の世界で金銭的に高い安いは禁句かも知れませんが瞬間接着剤はグラム換算すると高度医療薬品並ですね。
250cc四気筒のブレーキドラム

当然、実車とは異なった構造です。一度手をつけるとどこで妥協するか、しかしこれは改修しないといけないようです。ところが、これがまた悲劇の序幕で今日現在工作台の上でのさばっています。

フロントフエンダー

工作例は前にもご紹介しましたが、天板(覆い)を1・5mm厚
側面を1・2mm厚のプラ板を曲げ加工しています。覆い角度が110度と比較的浅いフエンダーですからこの厚みの素材であればラウンドは割に簡単に削り出せます。

250cc四気筒の取り外された部品類

ブレーキドラムも分解してハブ相当部分を再点検しました。
ブレーキフインを組み込む。ドラム横幅も許容範囲に収まる。問題はハブプレート、従来は04mmの洋白線を押し込んでいたが、今回はそう簡単な事は出来ない。(口は災いの元)

下右写真
とりあえず後輪用のドラムフインを用意しました。

下左写真
250ccシングル前輪用ドラムフイン。
2台分の車軸まわり

同じような部品を一緒に作ると効率よく運ぶ。工作手順のリストを作成した時はそう思ったのですが・・・・サイズも違う個数も異なる、決して上手くいきません。工作展開ごとにひとまとめにしないと収拾が付かなくなりました。

気分転換?
素材加工でストップしていたフロントフォークの工作に移りました。残り作業はフエンダー留めの加工だけです。

クリップハンドル
0・5mm肉厚に直線的な接着は難しいようです。既に1回ポキリと折れました。実車もかなり分厚い溶接を施してメッキ加工(レストア後?)されているようです。気長く完全接着を待ちましょう。

タイヤまわりの決着

最初からこだわっていたタイヤ問題、無いものねだりしてもどうにもなりません。このあたりで妥協です。
上段が250cc単気筒用の前後輪です。側面をルーターと240番紙ヤスリで少し削り落としています。イメージは大きく変わりました。
下段が250cc四気筒用前後輪です。下の前輪歪んでいる。
そうです経年変化でオーバルですがリムがつくときちんとおさまりました。
ストッパーシート

転用部品1号。やはりよくできています。私はリヤカウルを作るだけです。開き直ってフルカウルの曲面を利用して貼り合わせ加工の産物です。


今回の工作を始めてすぐに不老隊の松永隊長からメールがありました。今回何も相談もしていないのに、困っている部分の資料が添付されていました。何故、この人はこの資料がないと完成は難しいと思ったのかよくわかりません。
ともあれ年内完成(年内解散?)と打ち上げたものですから
・・・・・・嘘つきと言われないようにします。
     柴田一彌
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